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安田菜津紀(ジャーナリスト)がかわいい!父と兄の死そして家族とは?

める
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こんにちは、めるです!
まる
まる
安田菜津紀さんってご存知でしょうか?

日曜日の朝の名物番組『サンデーモーニング』でよく見かける安田菜津紀さんが気になっています。

いつもかわいく落ち着いたじゃべり方で、的確なコメントをする彼女のファンも多いのではないでしょうか。

かわいらしい安田菜津紀さんですが、父親や兄の死など、経験されています。

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今回、まとめた内容はこちらです↓↓↓

・安田菜津紀のプロフィール

・父と兄の死!!

・家族とは?

そこで今回は『安田菜津紀(ジャーナリスト)がかわいい!父と兄の死そして家族とは?』と題しまして、お伝えしたいと思います。

安田菜津紀のプロフィール

 

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【『ナディアの誓い- On Her Shoulders』感想:安田菜津紀さん】 フォトジャーナリストの安田菜津紀さんから、『ナディアの誓い- On Her Shoulders』の感想が届きました! 〈「私たちはいまだに、ISに支配されたままなんです。誘拐され、行方不明の家族のことを毎日考えているのですから。心は捕らわれたままなんです」。ナディアさんと同じ、ヤズディ教徒の方々を取材させてもらったとき、彼女たちが語ってくれた言葉が思い出されます。今、彼女の肩だけにこの重荷を背負わせないよう、一緒に声を届けてみませんか。紛争や女性だけの問題ではなく、「人間の問題」として、この映画が投げかけるものを受け止めてみて下さい。〉 『ナディアの誓い - On Her Shoulders』は、名古屋国際センターにて、10月13日(日)11時30分より、10月14日(月)は17時30分より上映いたします。 #WILL2LIVE # #UNHCRWILL2LIVE映画祭2019 #映画 #movie #難民 #refugee #映画祭 #映画鑑賞 #映画好きな人と繋がりたい #ドキュメンタリー #名古屋 #難民と進むワンステップ #StepWithRefugees #UNHCR #国連UNHCR協会 #安田菜津紀 #フォトジャーナリスト #感想 #映画感想 #ナディアの誓い #OnHerShoulders #ナディアムラド #ノーベル平和賞 #名古屋国際センター

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安田菜津紀プロフィール

名前:安田菜津紀(やすだなつき)

生年月日:1987年3月30日

出身:神奈川県横須賀市

大学:上智大学総合人間科学部卒業

所属:Dialogue for People

職業:フォトジャーナリスト

配偶者:佐藤慧

子供:男の子

テレビ番組「サンデーモーニング」にコメンテーターとして出演する、かわいいと評判の「安田菜津紀(やすだ なつき)」さん、フォトジャーナリストとしては、中東、東南アジア、アフリカなどの貧困・難民問題などを取材し活動されていますよ。

父と兄の死!

小学3年生のときに両親が離婚しました。

私は母と妹と3人で暮らすことになり、父と兄とは別々に暮らすことになりました。

中学2年生のときに、父が亡くなり、戸籍を見て、父が在日コリアン2世だったことを知りました。

そして翌年、兄も他界しました。

そのころは、「家族ってなんだろう」と悩み、すごくモヤモヤした気持ちを抱えながら毎日を過ごしていたそうです。

お兄さんは高校生の時から一人暮らしをしていました。

その後、父さんとと母さんが離婚し、父さんがこの世を去ってしまいました。

お兄さんの死・・・過労死でした。

お兄さんは、最期どんな風に亡くなったのか、亡くなるまでに、何カ月も休みなし、働き詰めの過労があったらしく、居酒屋の店長さんをしていました。

代わりがいなくても、責任感の強いお兄さんはきっと、お店を回さなきゃって頑張り過ぎてたんだと安田菜津紀さんはいいます。

そしてこのままだと、知らない誰かに明日また、起きてしまうことかもしれない・・・

ネット上で「過労死や過労自殺は自己責任」という言葉が物議をかもしたことがあった。

きっとこの言葉は、声をあげたくてもあげられない人の言葉を、もっと強く封じてしまうと思った。

過労死や自殺は “自己責任”なんて安易な言葉で切り捨てらてしまうこと事態、それしか選択肢がなくなるまで、追い込まれてしまった状態になるのだと思います。

お兄さんが亡くなってから、社会はどう変わってきたのでしょう・・・?安田菜津紀さんは何度も考えたらしいです。

相変わらず、過労で亡くなる人たちのニュースは続いている。

亡くならないまでも、体や心を壊されてしまう人たちがたくさんいる。

お父さん、お兄さんが亡くなってから、お母さんは朝の新聞配達と、スーパーのパートを掛け持ったりしながら、安田菜津紀さん姉妹を育ててくれたそうです。

親があんなに働き詰めにならなければならないことを、美談にしたくないと安田菜津紀さんは言います。

新型コロナウイルスの感染が拡大して、今たくさんのお店が苦しんでる。

飲食店をやっていたお父さんもお兄さんも、生きていたらきっと対応に追われて、大変な思いをしていたと思いますが、公的な支援はゆっくりゆっくりとしか進まない

働く人を守る仕組みは、まだまだ足りないんだということが改めて突きつけられてしまった

働くことは、命を奪うためではないはずです。

働くことは、生きるための条件ではないよね。

働けない状態になったときにも、安心できる居場所がある社会を作りたいですね。

安田菜津紀さんは、優しかった兄さんが死んで、私が生きてるんだろうって。

でも、これからの私の生き方次第で、誰かの「後悔」をなくすことができるかもしれない。

こんなことは、終わりにしなければならないから。

安田菜津紀さんがとても支えられている言葉を。

自殺対策に携わる人が、ポスターに使った言葉。

「弱かったのは、個人でなく、社会の支えでした」

お兄さんの死を無駄にしないためにも頑張ってほしいですね。

家族とは

安田菜津紀さんは、2003年高校2年生の夏、まったく違う価値観で生きている子どもたちと交流することができました。

安田菜津紀さんがずっとモヤモヤしていた「家族とは」という問いの答えが、交流会で見つけることができるかも・・・

夏休みにカンボジアの同世代の子どもたちと交流するプログラムに参加したことが、人生のターニングポイントとなったそうです。

派遣されたカンボジアでの日々は衝撃的で、カンボジアは1991年に内戦が終結しましたが、貧しい状況が続いていたそうです。

安田菜津紀さんが交流したのは、家が貧しくて人身売買されたり、ひどい暴力を受けながら働かされたりしていて、施設に保護された同世代の子どもたちだったらしいです。

彼らはつらい境遇にあるにも関わらず、真っ先に家族のことを考えていました。

「自分が今、施設にいるために家族は何も食べられないのかもしれない」「家族のために、早く職業訓練をしたい」と言うんです。

自分以外に守りたいものがある彼らは、とても強くて優しかったらしいです。

 

それに比べて自分は、家族はどうして私をもっと見てくれないんだろう、友だちはなぜもっと優しくしてくれないんだろうと、自分を守るために心に壁を築いて必死に壊れないようにしていました。

家族とは?考えさえられる課題ですね・・・

安田菜津紀さんは、彼らのように誰かに優しさを配れる生き方を見習いたいと強く思い、世の中の見方ががらりと変わったそうです。

そして、今のかわいいジャーナリストの安田菜津紀さんがいるのです!!

まとめ

今回は『安田菜津紀(ジャーナリスト)がかわいい!父と兄の死そして家族とは?』と題しまして、お伝えしてきましたが、いかがでしたでしょうか?

かわいいと話題のジャーナリストの安田菜津紀さんでしたが、お父さんとお兄さんの死で
自分の生き方が変わったらしいです。

高校の時のカンボジアの子供たちとの交流は彼女の人生が変わったと言っても過言では、ないと思います。

今後もフォトジャーナリストやテレビ番組でコメンテーターとして活動して下さい!!

それでは、今回はここまでにさせて頂きます。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

まる
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それでは、また♪
める
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めるでした!