「刑務所から出たら絶対K-1のリングに立ってやる」そう決意し、模範囚として服役後、格闘技の世界へ飛び込んだアウトローファイターがいます。
現Krushスーパーライト級王者の鈴木勇人選手です。
鈴木選手がが暴走族の総長として過ごした日々や刑務所に服役した2年間。
また格闘家を志した理由など、鈴木勇人選手の波乱万丈すぎる人生に迫りたいと思います。
・鈴木勇人プロフィール
・鈴木勇人の経歴
・刑務所から出たらK-1への理由
そで今回は『鈴木勇人の経歴は?刑務所から出たら絶対K-1のリングへと決意も!』と題しまして、お伝えしていこうと思います。
それではさっそく、本題へ入っていきましょう!
鈴木勇人はどんな人?
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鈴木勇人のプロフィール
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・名前:鈴木勇人(すずき はやと)
・生年月日:1990年1月22日
・出身:東京都八王子
・身長:178cm
・階級:スーパーライト級(-65kg)
・所属ジム:K-1ジム五反田チームキングス
・バックボーン:ストリートファイト戦績 7勝2敗1分
主な獲得タイトル Krushスーパーライト級王者
鈴木勇人の経歴
鈴木勇人選手は東京都八王子で生まれ育ちます。
幼少期より野球一筋だった鈴木選手。
中学も野球に精を出し、高校へは野球推薦で入学が決まります。
中学3年生の夏に部活を引退した鈴木勇人選手なのですが、活力が有り余り、野球のみに捧げた青春を取り戻すがごとくハメを外してしまいます・・・
この頃から、バイクを乗り始め(当時14~15歳)もちろん無免許運転です!
出典:https://www.instagram.com/hayato3122/
当時の事を「野球一筋の生活から一時期、解放され爆発してしまった」と鈴木勇人選手本人は、語っています。
一度、羽目を外すしてしまった鈴木選手の素行の悪さは簡単には治らず、野球推薦で入学した高校では暴力事件を起こしてしまい、わずか半年で退学になってしまいます。
退学後は、自堕落な生活を送り続けます。
そんなある日、鈴木勇人選手は公務執行妨害で逮捕されてしまいます。
警察官と揉め事を起こしてしまったのでしょうか?
警察署に連れて行かれた鈴木勇人選手は、少年課の警察官に言われます。
「お前は暴走族に入らないのか?」そう聞かれると鈴木勇人選手は、「入るくらいなら、自分で作る」そう言い、実際に仲間と暴走族を結成したそうです・・・
いち暴走族団を率いる総長として地元、八王子で名を馳せます。
出典:引用:https://www.instagram.com/hayato3122/
バイクを乗り回し、他の暴走族団と抗争を繰り返す半グレ集団へと陥ってしまった
鈴木勇人選手は、暴走族団を結成した理由をこう語っています。
「目立ちたかったし、自分を表現したかった。その手段が暴走族だった」
その後、20歳までに傷害事件などの罪で5回少年院に収容されてしまいます。
刑務所から出たら絶対K-1のリングへと決意も!
出典:引用:https://www.instagram.com/hayato3122/
20歳までに5回、少年院で収容された鈴木勇人選手。
「このままでは、どうしようもない人生になってしまう」
そう思った矢先、先輩に勧められ、なんとなくキックボクシングジムに入会。
ストリートファイトで慣らした喧嘩ファイトが功を奏し、アマチュアの試合では全戦全勝を記録します。
ですが、キックボクシングにのめり込む事が出来ませんでした。
そんなある日、友人に連れられ、たまたま見たKrushの試合に目を奪われました。
特にメインイベントを飾った久保優太選手に!!
その大会では、久保優太選手がKrush-67kgのワンデートーナメントで
優勝を果たしました。
この大会、いや、久保優太選手の試合に魅せられた鈴木勇人選手は本格的にキックボクシングでプロを目指すことを決意します。
本格的にキックボクシングを習うため、ジムを変えようと思った矢先、
過去に起こしていた傷害事件が発覚し3年の実刑判決が下ってしまいます。
20代という若さで3年間も持っていかれる事に絶望した鈴木勇人選手ですが、
「一刻も早くここを出て、キックボクシングがしたい!」
その強い気持ちをバネに模範囚に努めます。
鈴木選手は、墓石工場で働き、自由時間には勉強と読書に勤しみます。
その結果、高卒認定試験に合格し、アーク溶接やガス溶接、危険物取扱者などの資格を取得しています。
一日に30分の運動時間は、狂ったように筋トレや走り込みをしていたらしいです。
そのような規則正しい生活が認められ、2015年11月に仮釈放が認められます。
実質2年1カ月の服役生活が終わりました。
刑務所から出たら絶対K-1のリングへと決意があったからだったからですね。
憧れの久保優太選手のジムへ
運命的にも出所した翌月に、憧れていた久保優太選手主催のジムがオープンする事を知った鈴木勇人選手は、すぐにジムのある五反田へ引っ越し、ジムに入会します。
なんと会員番号は0001番!五反田ジムの第一号会員になりました。
鈴木勇人選手は、当時ジムの代表であった久保優太選手に包み隠さず今までの経緯を説明し、それでも「プロになりたい」という旨を伝えました。
快く理解してくれた久保優太選手。
当時25歳の鈴木選手の逆襲がここから始まるのです!!
まとめ
今回は『鈴木勇人の経歴は?刑務所から出たら絶対K-1のリングへと決意も!』と題しまして、お伝えしてきましたが、いかがでしたでしょうか?
かなり異色すぎる経歴をもつ、鈴木勇人選手ですが、格闘技に出会い人生が変わりました。
今後、どんなファイターになるのか楽しみですね!!
それでは、今回はここまでにさせて頂きます。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。